極まった技術はシンプル
極まった技術とはとてもシンプルです。1週回って戻ってきた感じがします。
院長が感じた「極まった技術」とは「磨き抜かれた基礎の組み合わせ」だと感じています。
達人が必ず言う言葉にこんなものがあります。
- 誰でもできる
- 簡単
- 難しい事はしていない
これを聞かされて誰もが答えるのが「先生だからそう言えるんですよ!」というお約束の言葉。
私達若輩者はこう考えます。
難しい事も先生はとても簡単にできてしまう程、身体にと技術が馴染んでいる
実はつい最近まで院長もそう考えていました。
言葉では理解していたはずなのに頭の中では「やっぱり難しい事が簡単になっているんだろうな」と考えてしまっていたのです。
違います。それは完全な誤解。
本当に難しい事は何もしていません。
している事は「一番最初に学んだもの」だけです。
応用ではなく「磨き抜かれた基礎」を組み合わせているだけなのです。
- 格闘ゲームで言うなら「小パンチ」
- RPGでいうなら「熟練度MAXの初期装備」
- 料理で言うなら「あいうえお」だけの味付け
- サッカーで言うなら「上手に身体を使う」だけ
基礎を磨いて、基礎を組み合わせる事で応用と呼ばれるものが生まれているだけ。突き抜けた基礎が周囲には「難しすぎる」「奥が深い」と勝手に評価されているだけ。
当の本人は「ひたすらに基礎を積み上げただけ」という認識です。
今の時代、臨床に即使える答えを追い求めている施術家が多く「基礎」は完全に蔑ろにされています。神の手と呼ばれる施術家を見るたびに「最初から道は開かれているのに」と改めて自分の至らなさを痛感します。
多くの施術家は自分で道を閉ざしている
院長を含めて殆どの施術家は「神の手」を目指しながらその道を自分で閉ざしています。
基礎はある程度できれば終わり。応用編に進もうと。
神の手に続く道は「基礎を日々磨き上げる事」にあります。むしろそれ以外にはありません。
最初から目的地へ至る道筋を与えられているというのに自分からその道を蔑ろにするという。何だか自分がとても間抜けに見えてきました。
自分への戒めとして改めて精進していきます。