【最終更新日:2025/04/21】

院長の椎間板ヘルニア物語

22.2回目の病院、MRIそして運命の宣告

MRIの予約日に再び総合病院へやってきました。

今回はMRI予約が入っているから一直線だ!と喜び勇んで飛び込んだのですが甘かった。

前回の様に後から後から押し寄せてくるおじーちゃんおばーちゃんに追い抜かされ、予約時間を40分くらい超えた時にやっとMRI撮影。※診察は無しだった

この予約って一体何なんだろうか。

後で知ったんですけど、病院によっては遅刻やキャンセルを見越して同じ時間に複数の予約を入れる院もあるそうです。※当時はこれ、本当に知りませんでした

僕のところもそんな感じだったのだろうか。

想定外は突然やってきた

MRI撮影を終え、予想通りまた50分くらい待たされた後に診察となりました。

「L4-5のヘルニアですね」

あれだけ聞きたくないと思っていたヘルニアという診断。ですが、もうこの時になっていると「そんなことはこの際構わない」という気持ちでした。

「要はどうやって治療をしていけばいいかが問題なんだ」

本当に、人間って気持ち一つで変わるものですよね。その時の院長はヘルニアを受け入れていたのです。

  • ヘルニアがそこにあるという事はわかった。
  • 僕は前の様に普通の生活に戻りたい
  • それにはどうすればいいのかを教えて欲しい
  • 「保存療法」以外の方法は無いのか?

そんな気持ちで先生の言葉を待っていた僕に降り掛かった言葉。

 

これが衝撃的でした。

 

  1. 「保存療法だと数年単位で見てください」
  2. 「それでも変化しない例は多い」
  3. 「早めに手術という選択肢も入れておきましょう」
  4. 「ただし、後遺症が残る場合もあるから覚悟はしておいて欲しい」
  5. 「取り敢えず、聞いていたスポーツ等の運動はもう控えてください」

「保存療法で数年単位」

「手術は後遺症の可能性も」

「今してるスポーツは控えるよう」

これは正直、想定外も想定外。全く自分の人生とかかわりの無い言葉だと思っていました。

「え?手術?後遺症?しかも手術関係なしで運動は実質禁止?」

自分の人生に一気に「暗幕が下りた」様な冷たいショックを受けました。ドーンではなくサーーーっという様な。

「復帰前提」で考えていた人間に「復帰は不可能」と言っているようなもの。

これは本当にショックだったのですが、余りにショックが想定外過ぎて衝撃が全く無かったのだけ覚えています。

血の気が引いたという方が感覚的には近いかもしれません。

「手術と後遺症の話ばかりだなぁ」とだけ印象に残っており後の話は耳に入ってきませんでした。

色々と選択肢を伝えてくれてはいますが、話しぶりが「手術前提」であるのは聞いていて良くわかるからです。

ああ、この先生は自分を手術適応だと考えているんだなと。

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