何が起こったかは些末な事
起こった事をどう受け止めるか。
それで全てが決まる
「何で私が」と荒まないように
ヘルニアや脊柱管狭窄症などは誰にでも起こるものではありません。神経痛で寝たきりなんて会社に1人出るか出ないかのレベルです。
そんな僅かな確率に
自分が当たった。
誰もが心底「何で俺が」「何で私が」と自分に降り掛かった状況を嘆きます。
私もそうでした
「自分以外でなっていい人なんて沢山いるだろう」と本当に心が荒みました。
そうやって心が落ちていくのは仕方がありません。無理に抵抗しても無駄です。何せ納得がいかないのですから。
ただ、落ちるだけ落ちた後は「不幸にしがみ付かないで欲しい」のです。起きてしまった事は戻らない。仕方がない。きっと何か意味があるのだろう。少しずつで良いので受け入れて下さい。
現実を受け入れる事で気持ちが底を打ち、上へ向かいます。
身体を壊したからこそ生まれた時間が沢山あると思います。その時間を使って今まで考える余裕が無かった事をゆっくり考えてみてください。
身体は「壊れるまで」頑張った。
その痛みを発症するまで、たった一人で耐え続けたのは「あなたの身体」です。
自分自身の身体を
一度労わってください
必死のパッチで耐えてきたのに、身体を壊したら「何でここで壊れた!」「あと少し辛抱してくれよ!」と身体が責められるケースは結構多いです。
身体を酷使し続けた
「自分」を棚に上げて
私達の身体は本当に優れたシステムを持っており、ちょっとやそっとの事ではヘルニアや神経痛などは起こしません。基本ぐっすり眠れば回復します。
その回復が追い付かないくらいに酷使して、労わらずに追い詰めてしまったのは私達自身です。
身体は何も悪くありません。日頃から「限界が近い」とメッセージも出していました。私たちが気付けていなかっただけなのです。
今、人生における強制ブレーキを踏まれた皆さんには是非、ここまで必死のパッチで頑張ってきた身体を褒めてあげて欲しいのです。
頑張ってくれてたんやな。
ありがとうな。
そして「今まで気づいてやれなくてごめんな」と身体に対して非を認めてあげてください。
ギックリ腰、腰痛、ヘルニア、神経痛という出来事を身体と向き合う「きっかけ」にして下さい。辛い症状も、生活の支障も大きな意味ある出来事として生まれ変わります。
結局は「受け止め方」1つなのですから。