手技療法の本質とは一体何か。
院長が手技療法とは何か?カイロプラクティックとは何か?
色々と自分の言葉で表現できないものかと、色々考えていた頃に出会った言葉にこのようなものがあります。
技術は全て単純であってこそ、
個々の患者に必要な特殊性に対応できるのである。
治療者は専門的な技術者であるべきであり、
機械のドリルを回すようなステレオタイプの治療をする
治療者であってはならない。
出処: ジョン・ブラックマン/カレン・プリップ共著
秦 洋一訳 モビリゼーションテクニック p5
言い得て妙だ! 正にその通り!
僕が表現したかった内容がここにありました。
今のご時勢、脱サラブームの1業種として、手技療法がブームとなりました。
そのため、本当に沢山の手技療法系統の学校があります。
ですが、そこで教える技術は、「万人向けのオーソドックスなテクニック」なのです。
ワインで言えば「規格統一された工場生産タイプ」のものです。
つまり、「幅広く受け入れられるが、深さが足りない」形になるのです。
だから、軽い症状の方には良いが、重い症状の方には効果が薄い、または戻りが早い。
こういったデメリットを抱えた院が世の中に増えてしまい、問題化してしまったのです。
僕は手技療法の世界は「職人」「専門職」の世界だと考えています。
大阪の町工場みたいなもので、針の穴を通すような高品質・優れた技術を継承していく世界。
でも、研鑽の先にあるのは「単純化されたシンプルな型」であり、そこに経験という名の引き出しにより、様々な患者さんの症例に臨機応変に対応していく。
つまり、変幻自在の「シンプルな型」という訳です。
研鑽された結果、辿り付く究極の「単純化」にこそこの世界の本質が隠されていると思っています。
単純だからこそ、適応範囲が広く、研鑽された、洗練された単純だからこそ、無駄が削ぎ落とされ、深さが限りなくあり、
そこに経験知という個人レベルのスパイスが絡み、様々なイレギュラーへの引き出しが控える。
手技療法は「芸術だ」と言う人も多いですが、僕もその一人だと思います。
手技療法家そのものが芸術として洗練されていくべきだと思います。
非常に険しい道ですが、こんなに充実した道は無いと思います。
だって、報酬は患者さんの笑顔と感謝ですから!