運動習慣についての考察
運動習慣、特定のストレッチは「薬」ではない。
その場で「こうしたから、こうなる」といった形での変化は無い。それは「効かないではなく、薬とは土俵が根本的に異なるから」である。
薬は身体に自然に起こる化学変化を人為的に起こす「不自然」な働きかけ。なので即効性も高いが、肝臓に負担がかかる。
運動やストレッチ、習慣は「自然に沿って変化を促すもの」なのでジワジワと積み重なって結果が現れてくる。
薬とはすなわち「ドーピング」である。
6年前を振り返ってみる
この文章をどういう経緯で書いたのかは覚えていないのですが
- 薬って結局は何なんだろう?
- 運動って何だろう?
- ストレッチって何?
といった単純な言葉の掘り下げの結果を簡単に纏めたかったのだと思います。
- 薬は何故、あんなに即効性があるのだろうか?
- 薬は何故、副作用があるのだろうか?
- どうして毎日薬を飲んでは駄目なのだろうか?
これは小学生くらいから思っていた事なのですが、余り納得のいく答えに出会えなかったんですよね。
「薬は良いものだけど身体に悪い」
「良いのに悪い」ってどういう意味なんだろうという感じで。
薬は「身体の中の代謝活動に強制介入する」という具体的なプロセスを知って初めて納得しました。
- どうして座薬があれほど効くのか。
- どうして静脈注射は効果的であり危険なのか。
- どうして肝臓に負担がかかるのか。
薬は本当に凄い力を持っていると思いますが、その理屈を知ってしまうと「使おう」とは余り思わなくなりました。
親の立場としては子供には絶対に使いたくないなと。軽いとかキツイとかの問題ではなく「これは極めて不自然なもの」という印象が拭えないのです。
「運動習慣」というテーマから随分脱線してしまいましたが、今思い返すとそんな感じです。
「薬」と「運動」を同じ土俵で論じる事はナンセンス
これですね。
今は「効果」の点ばかりが注目されているのか、どんな取り組みであっても
- どれくらいで治るか?
- これで治るのか?
という事ばかりが質問されます。
- 「熱が上がった」→「薬を飲んで解熱した」
- 「頭が痛い」→「薬を飲んたら鎮痛した」
なら、運動の場合はどうだ?ストレッチの場合はどうなんだ?という感じだと思います。
運動やストレッチはそもそもそういうものではないのです。