自転車を通して患者心理を再確認した
自分が最後に患者となったのはヘルニア再発、股関節の激痛を味わった4年前が最後です。今ではすっかり施術する側として日々患者様と向き合っていましたが、久しぶりに患者様の立場になる機会がありました。
ただ、腰痛や肩こりといった問題ではなくて「自転車の問題」です。 毎日「箕面市彩都⇔吹田市千里丘」を運んでくれる私の愛車がそれを教えてくれたのです。
きっかけは自転車の不具合と整備
私の自転車は購入してから10年近く経過するクロスバイクです。タイヤやホイールは変えましたが、スプロケットなどは未だに購入した時のパーツがそのままになっています。
そんな私の自転車ですが、最近は強く踏み込むとチェーンが舐める事が出てきました。チェーンがスプロケットに噛まずに滑るのです。これは非常に大きなストレスでした。
- いつチェーンが舐めるかわからない
- 流してる時に起こるとテンションが下がる
- 交差点で起こると危ない
こんな気持ちが常にあったので、これはそろそろ買い替え時かなと考えていました。パーツが劣化しているんだろうと思ったのです。
ですが、買い替えまでに大事になったら大変だと思い、時間を作って応急処置だけでもすることに。
そこで私が見たものは衝撃的でした。
スプロケットに油がこびりついて地層の様になっていたのです。忙しさにかまけて整備を怠っていたのが丸わかりでした。
「これじゃ、噛みにくいのも当然だ」 と2時間かけて全ての汚れや堆積物を取り除き、チェーンも綺麗に磨いて潤滑油を塗布して整備完了。
「これで買い替えまでは持つだろう」と思ったのです。
新車の様な動きが戻って感動した
買い替えまでの繋ぎになればと徹底的に駆動部を清掃した結果、まるで新車の様な反応が戻ってきました。
- 軽く漕いだら勝手に加速する
- 緩い坂でも減速するどころか勝手に加速する
- 路面を滑る様な感覚
余りの変化に驚きました。 「うぉー!性能が格段にアップしたー!」と。 チェーンの滑り対策で行った事が思いもよらぬ効果を生んだのです。
だがしかし、1回だけチェーンが滑って気持ちが一気に沈んだ
スプロケットを清掃する事で新車の様な爽快さが戻ってきた私ですが、ウキウキ気分で帰っていた時に、1度だけ「ガシャン!」とチェーンが滑ることがありました。
「あ、まだ何かおるわ。。。。。」
舞い上がっていた気分が一気に沈みました。「そうそう都合良くはいかんよな」と。
こうして天国から地獄に落とされた私でしたが、すぐにある事に気付きました。
「あ、この感覚ってまさに患者さんだ」と。
その瞬間、私は「良くある負のループ」に陥っていた
自転車のチェーンが舐める問題を何とか改善しようとスプロケットの清掃をした私。 その結果は上々で
- 自転車が新車の様にスイスイ進む
- とにかく軽い
- 路面をツルツル滑る
という思いがけない変化と感動が生まれました。 その一方で「チェーンが1回舐めた」という現象も起こりました。
チェーンのなめる問題を何とかしようとしたのに、1回起こってしまったので「まだ直ってないんだ」とショックを受けたのです。
これはまさに「患者あるある」の負のループであり、私が患者様にいつも「そうならない様に気を付けて下さい」と伝えている事そのものだったのです。
「消えるか、残るか」で判断をしてしまう
チェーンが舐めるという問題は確かに残りました。最も解決したかった問題なのでショックが大きいのは当然です。
ですが、よく考えてみたら多い時には7~8回は「ガシャン!」と起こっていたチェーンの滑りが「たった1回」だけに減っていたのです。
それはとても大きな変化なのですが、気持ちは何故か「起こるか起こらないか」に注目していました。
これは「痛みが8割減った」事よりも「2割まだ残っている」という現実に意識を向けてしまう「痛みを探す」タイプの患者様です。
「いきなり満点」を求めてしまうA型の患者様に多いケースです。※ちなみに私はA型です
自分でも改めて思いました。「変化ではなく、残されたものに意識を向けていたら世界は常に閉鎖的になるんだなぁ」と。
- 「よし、あと2割だ!」
- 「ああ、やっぱり残ってるわ」
世界が明るくなるのは間違いなく前者です。
思わぬ副産物を素直に喜べない(残り物が気になる)
今回のスプロケット清掃で生まれた思わぬ副産物。
- 自転車が新車の様にスイスイ進む
- とにかく軽い
- 路面をツルツル滑る
この変化はとにかく衝撃的でした。
年を追うごとに辛いと感じていた自転車移動が全然辛くなくなりました。
年齢のせいでもなく、肉体的な衰えのせいでもなく。ただ自転車の整備不良がもたらしていただけだったのです。
そんな大きな変化を生み出してくれたのに、たった1回のチェーンの滑りが気持ちをモヤモヤさせてくれます。
「まだ、肝心なやつが残ってるもんなー」と気持ちが沈むのです。
冷静に考えると何て贅沢な事を言っているんだろうと我ながら思いました(笑
僅かなきっかけで大きな変化が生まれたのに、僅かに残った「変化していないもの」に不安・不満を抱いている。
目を向けるべき対象を誤ると、こうも物事の受け止め方が変わるのかと自分で再確認しました。
そして同時に「頭でわかっていても、中々そうはいかないものだな」という事も再確認できました。
1つの変化で変わる世界
私が自転車にしたことはスプロケットを掃除するという「たった一つ」のことだけです。
でも、そのたった一つで自転車に乗った時の世界が一気に変わりました。
整備前
- 院から自宅までの10㎞が遠く感じる
- 漕いでも漕いでも進まない
- 帰宅前、既に気持ちがしんどい
整備後
- 10㎞が近く感じる。「え?もうついたの?」となる
- 自転車がスイスイ進む。減速が起こらない
- 帰る事が苦にならない
何が言いたいかというと、「たった1つの障害」が思いも寄らない領域にまで影響を及ぼすということです。これは自転車だけに限る話ではありません。
私達の身体にもあてはまります。
- 腰が詰まる
- 膝が痛い
- 肩がこる
その1点の変化で私達の生活は一気に影響を受けます。
- たった数十メートルが遠く感じる
- 「よし出掛けよう!」という気持ちが起こらない。
- 気持ちがどんよりする。楽しくない。
こういった倦怠感や疲労感を「年齢だから」「運動不足だから」とまとめてしまう人は多いです。ですが、そういった「前向きにならない気持ち」の原因は「思う様に動かせていない身体」にあるのです。
年のせいではなく、身体に起こっている構造的な問題が原因なのです。
そして、その気持ちと身体の問題は「本来の身体に戻す」というたった1つの変化を投げ込むだけで、一気に変化をする可能性が高いのです。
- 1㎞、2㎞だって近所に感じる。
- 「それくらいなら歩けばいい」と身体を動かしたくなる
- 気持ちが明るくなる。生活に彩りが生まれる
たった1つの変化で変わる世界。それは決して大袈裟な事ではありません。
さぁ、「本来の身体」を取り戻そう
私は正常ではない状態の自転車を今まで使用していました。そして、スプロケットを本来の状態に戻しただけで「性能が格段に上がった!」と一人で感動してしまいました。何とも恥ずかしい限りです。
本来の状態に戻しただけで感動する程の変化を感じる。それは「正常では無い状態を日常としていた」からです。
つまり、「それが普通」と脳がセットポイントを下方修正していたのです。
- 漕いでもすぐに減速するが、それは自転車が古いからだろう
- チェーンが抜けたりするが、それは自転車が古いからだろう
- 坂道がとても辛いが、それは坂がキツイからだろう
そんな理由を自分で勝手につけては納得し、その状況を受け入れていました。「こういうものだ」と。
これは操体法の橋本敬三先生が提唱する「不自然の自然」そのものであり「本来の状態を忘れてしまった」状況と言えるでしょう。
「慣れ」と「勘違い」のダブルパンチです。 この「本来の状態を忘れてしまった」まま生活をしている人がどれほど多いことか。
年のせいではありません。体質の問題でもありません。遺伝の問題でもありません。 ただ「身体が本来の状態にはない」だけなのです。
本来の身体は手が届く場所にある
ずっと忘れていた「本来の状態」を思い出すだけで変化は生まれます。
- 「え?こんなに変わるの?」
- 「全然違う?え?」
- 「うわ!軽!」
でもこれは「良くなったのではなく、元に戻っただけ」です。やっと本来の自分自身を取り戻すことができただけなのです。いわばスタート地点に戻ってきた様なもの。
本来の状態からもっと前に進めば、さらに驚くような変化が待っています。
さぁ、「本来の身体」を取り戻しましょう。 私達は「ニュートラル」の場所から遠く離れた「マイナスの世界」にどっぷり浸かっている事に気付けていないだけなのですから。