【最終更新日:2019/01/06】

オットー・F・ボルノーの言葉

とても本質を突いた言葉

とても良い言葉だと思いますのでシェアします。

オットー・F・ボルノー

「人の日常の姿は、あまりにも身近で毎日繰り返す行動や行為に対しては、その意味を考えようとせず、日常に足りないのは『問い』である」

正にその通りです。

  • 繰り返す日常は最も重要なのに意識が向いていない。無関心と言って良い
  • 日本人に足りないのは「何で?」という問いである

TVや雑誌、インターネットには「使っている本人さえ意味をわかっていない」という内容の文章が余りに多いです。「何となく使っている専門用語」というものです。

そして見ている私達の多くもまた「それ本当?」とか「それはどういう意味?」と考える事なく「へ~そうなんだ~」と受け入れてしまいます。

情報が曖昧・不確かなまま発信され、受信され、それが正しいと受け止められてしまうのです。その結果、間違いだらけの先入観・固定観念が溢れています。

その「わかった感じがしつつも、実はわかっていない」状態は健康に対して本当に大きな影響を与えます。

意味を考えず「真似をする」だけの形から入る模倣が氾濫し、望んでいる形の結果がついてこなくなるのです。最悪の場合は健康状態が悪化する事もあります。

情報を無防備に受け入れる生活に慣れてしまっている。

情報の真偽を確認する、本当かな?と疑問に感じる気持ちが起きない事はとても怖い事です。

情報に対して完全に無防備になっているという事で、これ程にコントロールしやすい対象はありません。

実際、そういった大衆操作の手法が「マーケティング」と呼ばれる学問領域です。「対象が知らない、確認しようがない、確認しようなんて思わないけど対象がメリットを感じる内容」を提供する事で訴求効果を高めます。

広告・CMは基本的に「無防備な相手」を前提にして作られています。私達消費者はうがった言い方をするなら「釣り堀の魚」です。

そして広告・CMは「吊るされる釣り針」です。

消費者に響き、相手が食いついてくる内容(餌)を漁場(市場)に垂らす。食いついてきたら一気に網で釣り上げる。

そんなゲームがメディアが浸透している日本では日夜繰り広げられています。

世の中は私達が思っている程「真摯な世界」ではありません。自分たちが向き合っている社会がどの様な思惑でどのような活動をしているのか。

身近な問題としてもっと向き合う意識を持つと惑わされる事も減るでしょう。

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