心は痛みに執着する
身体は重心に執着する
両者の間に立てる唯一のもの。
それが「意識」だ
「痛み」より「重心」に目を向けよう
整体やカイロを頼る患者様は
- 「この肩の痛みを何とかしてくれ!」
- 「この腰のツッパリを何とかしてくれ!」
- 「この膝の痛みを何とかしてくれ!」
といった訴えをされます。
頭の中は「痛みのお祭り騒ぎ」です。
「痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み」
痛いのだから当然こうなります。
この状態では「痛くなくなったら治ったという事」という認識でいます。
これが大きな落とし穴になります。
痛みを起こすもの
痛みを起こす要因は主に二つ。
- 組織の損傷(炎症)
- 組織の疲労(過負荷)
炎症系の方は基本的に「ケガ」です。慢性腰痛や肩こりなどの場合は「疲労」による痛みやだるさとなります。
患者様は「痛い!」が頭に。施術者側は「何故この痛みが生まれたか?」が頭にある。
患者様は「とにかく痛いの何とかしてくれ」という事で来院をされますが、施術する側は「どうしてこの痛みが起こり、今もなお残っているのか」を考えていきます。
- 患者側の希望:今すぐこの痛みを何とかしてほしい
- 施術側の目的:この痛みを根治・改善したい(戻りを最小限にしたい)
両者の思惑が少し違う方向を向いているのですね。
ここで「痛みを取る事」を最優先にしてしまうと「痛みは取れたけど、またすぐ戻った」という定番の再発パターンが起こります。
これは「起こって当然」の出来事です。
その痛みの原因は院を出た外側に存在しており、それは何一つ変わっていない訳ですから。
この大前提を無視して「症状が戻るのは技術が足りないから」という技術論に陥るケースが非常に多いです。
これはもう「痛み」を掘り下げて考えない限り、恐らく一生続く悪循環になると思います。実際、この悪循環に苦しんでいる方が沢山来院されています。
それは「誰が悪い」という話ではなくて「痛みとの向き合い方」が少しズレているだけなのです。
「痛み」が起こるにはそれなりの理由がある。
身体に起こる「痛み」は「バイタルサイン」とも呼ばれます。
身体が発する危険信号という意味です。この痛みを感じる事ができなくなると、どんな生物であってもたちまち「死」の扉が開かれます。
病気による死ではなく、主に「外傷」による死ですね。
車とぶつかっても、電車とぶつかっても痛みを感じないので「警戒心」も「恐怖心」も生まれません。だから無茶な行動を繰り返し、いつかは「死」を迎えてしまう事になります。
平たくいうと「逃避行動」が皆無になるのです。
それだけ、私達は「痛み」という感覚によって守られていると言えるでしょう。
「危険」との適切な距離を保たせてくれているのは「痛み」の記憶と恐怖だといえます。
腰痛や膝痛、股関節の痛みなども「バイタルサイン」の一種。
腰や肩、膝や股関節に起こっている「痛み」もまた本質的にはその「バイタルサイン」としての痛みです。
関節に何か問題が起こっている為に「これ以上動かすのは少しマズイ」と知らせてくれています。この時点で既に関節部位には損傷が生まれていると考えて良いでしょう。
それを無視して関節を動かし続けると大変です。
- 痛みの感覚を無視して運動する
- 関節組織の損傷が進行する
- 「動かすと痛い」から「動かさなくても痛い」に症状が悪化
- 「痛くて動かすことができない」部分が出てくる
- 日常生活に大きな支障をきたす
という展開を見せます。
ここまで来ると「手術適用」と診断をされる方も出てくるはずです。特に股関節と膝に関しては。
「痛み止めはなるべく止めた方がいい」という専門家も多いですが、それはこういう理由です。
身体は「ブレーキ役」として痛みを発信しているのに、そのブレーキを抑え込んでアクセル全開で走れるようにしたのが「解熱鎮痛剤」です。
解熱鎮痛された状態では「治った!」と感じがちですが、実は何も治っておらず「感じていない」だけだという事ですね。