医学は開かれている
今は書店で医学書も買える
ならば学ぶべきだ
医学は誰にも学べる
今の時代、「医学」は開かれています。
- 書店には医学書が並ぶ
- アマゾンにも医学書が並ぶ
医学を学びたい人には開かれた時代です。アマゾンでは中古の取引もされています。多少古くても問題ありません。確かに最新版では色々と付け足しもありますが、特に重要な項目は今も昔も変わりません。
医学はもう「皆の学問」なのです。
実は知識は皆ない
整体やカイロといった民間療法に携わる人は「医学的知識が無い」とよく言われます。実際、医学書をしっかり学ぶ民間療法の学校は少ないでしょう。私は見たことがありません。
ですが、それは医療系国家資格の学校でも同様です。
- 柔道整復師
- 鍼灸師
- 理学療法士
- 作業療法士
- 看護師
それぞれの学校には教科書がありますが、それは医師が使う医学書ではありません。内容がかなり簡略化された教科書です。ページにすると半分以下。
これを知っている患者さんは
殆どいません。
私は全ての療術家に言いたい。
きちんと医学書を読み解いてから「医学を勉強した」と言おうぜと。授業に出ただけで「規定のカリキュラムをこなしました」なんてカッコ悪い。
患者さんには気付かれないだろうが、自分自身は良くわかっているはずです。「足りていない」と。
医学書を読むと世界が変わる
繰り返しになりますが、代替医療に携わる人間は「医大用の医学書」を読むべきです。
「風景」が一変します。
絶対に医大で使う医学書を教科書としましょう。これは医療類似行為に関わる人間の義務です。
初めて読んだときは2分で眠れたが、3周目になると今度は楽しくて眠ってる場合じゃなくなります。
私が医学書で見た風景
私が医学を学んで素直に感じたことを幾つか紹介したいと思います。
1.「医学の現在位置を知れた」
世界が引っくり返ります。
私達は「医学は万能ではないがそれに近い」と思っています。何かの番組で「科学が解明していないのは最早『脳』だけである」というナレーションを聞いて「人間って凄いところまで辿り着いたんだ!」と感動していました。医学書を読むまでは。
あれ?
全然解明されてなくない?
とにかく文末に「現時点では未解明である」と締めているケースが多い。わからんのかい!
生理学の様々な項目において
- 「〇〇に関しては今後の研究が待たれる」
- 「現時点ではこのように推測される」
- 「〇〇に関しては不明な点が多いが、、、」
といった内容が本当に多いのです。まるでニュース番組だ。
医学は人間を
全然解明できていない
この点に気付けただけでも医学書を学ぶ価値はありました。まさに「夢から覚めた」と思う。
2.「人間のデータ」が少ない。
生理学では様々な生理現象に関する情報が網羅されています。ですが、思いのほか「人間以外での実験」が多いのです。
- サル
- 犬
- 猫
- ラット
多くの実験で取り上げられているのは動物ばかり。「生理学って人間の生理学じゃないのか」と驚きました。
ワクワクしながら読み進め、注釈で「※ラットによると」と書かれてズッコケる。このパターンが多かったです。
3.医学もそこまで前進していない
医学が代替医療を「科学的根拠がない」と一蹴する場面には何度も遭遇しました。
ですが、その医学も実は「人間のことをまだ良くわかっていない」というのが現実であり「今手元にあるもので判断する限り」という前提に立っているという事実を知りました。
医学の進歩は凄いと思います。でも、私が思っていた場所にはまだ辿り着いていなかったのです。これは物凄く勉強になりました。
この事実は代替医療の人間に関わらず、もっと多くの人が知るべきだと思います。
私達は医学に対して過剰な評価をし過ぎているのです。
4.最新の研究には反論データも沢山。
良くテレビで見かける「最新の研究でこういう事が明らかになった」という言葉。
あれは相当にあてにならないと知りました。
最新であればあるほどに、それと正反対のデータを示す発表も沢山存在しており、「どっちにもとれる状態」のものばかりなのです。
最新かもしれないが
まだまだ検証が必要
紹介されるときは必ず「今後の検証が必要」の部分が省略されて出てきます。
これも非常に勉強になりました。
誰よりも学ぼう。
私達は無資格だからこそ「医師と同じ医学書」を学ぶべきです。単純に「知識」「経験」「技術」で勝負をするしかないのですから。
「経験」は日々の臨床で積み重ねることができますが「知識」はそうはいきません。ただひたすらに学ぶしか無いのです。
直接臨床には関わらない知識だって沢山あります。ですが「人間の健康」を扱う以上は「人間の仕組み」について理解を深めるべきです。